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Fリーグ構想
 昨日になってしまいましたが、幕張のIFEXに講演のパネラーとして参加してきました。

特別講演は、JFMAの小川先生の司会でテーマは
「暮らしを豊かにするためにできること」
〜質的転換の時代に向けて花の消費拡大をするには〜

パネリスト
クリザール・ジャパン(株) 取締役副会長 海下 展也
JA新庄もがみ 新庄昭和花木部会 会長 赤間 初男
(株)東日本板橋花き 営業切花部 部長 樋口 博紀
浜松PCガーベラ 日本ガーベラ生産者機構 事務局長 鈴木 誠

お客様は250程度入らしてたのではないでしょうか

1時間半の講演時間で12分程度話す時間がありました。
その中で1/1000構想をサッカーのJリーグにたとえて話しをしました。

その後、早々に会社に戻り仕事をし、ふと気になってJリーグのことを調べてみました。

以下「フリー百科事典「ウィキペディア」提供 ***********

Jリーグが誕生する前の日本におけるサッカー競技は全国リーグである「日本サッカーリーグ」(JSL)がすでに存在していたが、当時は日本国内における競技自体の人気や選手の待遇がまだまだ低く、マスコミにもあまり大きく扱われる程の存在では無かった事から、当時の日本サッカー協会内ではその様な状況を打破したいと、川淵三郎らが中心となって国立霞ヶ丘陸上競技場で開催する1989年2月26日のJSLの後期リーグ開幕戦を無料招待試合にするなどといった様々な試みを積極的に行っていたが、現状を変えるまでには至らなかった。

また、水面下では木之本興三らを中心とした第1次JSL活性化委員会が極秘裏に「スペシャルリーグ(サッカーのプロ化)構想」を進めていたが、協会内部では『JSLの活性化』では意見が一致していたものの、まだまだ『リーグのプロ化』に対しては「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などと、親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チームの役員達を中心にJSLの評議委員会では強固な反対の声も多く、なかなか木之本らの計画は進展しなかった。

ところが、1980年代後半に「国際サッカー連盟」(FIFA)の第7代会長であったジョアン・アベランジェから当時のアジアとしても初開催となる「FIFAワールドカップ」の日本開催を日本サッカー協会へ打診されると、当時の第2次JSL活性化委員会が中心となって急激にプロリーグ構想が推進され、まもなく日本では初めてとなるプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)発足が正式に決定し、1992年には前哨戦として「Jリーグヤマザキナビスコカップ」が開催された。

1993年5月15日、国立霞ヶ丘陸上競技場で行った試合前の発足セレモニーと開幕戦でJリーグは華々しく発足した。なお、この模様はNHKが全国規模で生中継を行い、関東地区では32.4%の視聴率[1]を記録し、その後も地上波のテレビを中心に試合中継が毎節の様に組まれ、同年下旬には全局のテレビ中継数が41本にまで増加、その中でゴールデンタイムでの放送が20本も占めた[2]。また、ジーコなどといった各国代表クラスの大物外国人選手や監督も当時のJリーグに籍を置いていた事もあって、日本のサッカー界に未曾有のサッカーブームが到来した。ちなみに、Jリーグはこの年の新語・流行語大賞を受賞している。ただ、発足当初から理念として「親会社に依存した企業スポーツからの脱却」や「地域住民や自治体との連携」等といった地域密着の考え方は掲げていたものの、ブーム真っ只中の当時は世間的に「プロ野球のサッカー版」という認識だった。


********************

1993年の春にJリーグが開幕するまでサッカーはアマチアなスポーツでしかなかったが
今は多くの熱烈なサポーターや子供にも人気のスポーツになり、海外で活躍する程の
実力を持ったスタープレーヤーを育ててきた。正に天と地ほどの成長をとげた。
あながち、Jリーグのたとえ話も間違っていなかったと.....

私は花業界もFリーグ(フラワーリーグ)を立ち上げるべきだと講演でお話しした、
そのためには、我々花業界の関係者は当事者というプレイヤーとしての自覚をもって
このFリーグの立ち上げに参加していくべきだと、
そしてまだ一年間で一度も花を買わない6割お客様を花のサポーターにするために、
進化していかなければ将来は切り開けない

まずは、リーグを創るために組織を立ち上げなくてはいけないし、1人1人がプロとして
成長をとげて質の高い商品を業界一丸となって消費者に繋げていく事が大切だ

そんな話しをさせてもらった


私はサッカーはできないが、すでに花業界にはフットサルで業界を縦断したリーグを
創り、今では200人を超える参加があると聞いています。
趣味スポーツの集まりとはいえこの顔ぶれは過去の花業界ではあり得ない事です。

私は今後近いうちにこの「Fリーグ構想」が実現し、

花業界が大きな進化を遂げ「花育」が流行語大賞を獲り

上戸彩が花のコマーシャルでテレビに映し出され

生活者にとって花が無くてはならない存在になる日が、そう遠くない将来に

必ず来ると確信しています。
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