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小池ブログ炎上の火の粉がかかっているようです。
私も30年前なら迷わずあのブログに罵詈雑言を書きます。
小池社長に初めてお会いしたあの頃なら...
あの頃私は、独立を目指してこの花業界に入り花屋修行する毎日でした。
当時、花業界でもかなり風雲児的で騒がれ、積極的に花屋のチェーン展開し、
アサヒグラフに特集記事が出るほどの有名社長に懇願して働かせてもらっていた。
数年も経たないある日、社長から突然、同僚一人と呼ばれ
明日から荷物の引き取りぐらいしか行ったことのない市場に
仕入に行くように言い渡された。
独立を考えてた事もあり勇んで市場に行きますと答えた。
若いとか、知らないと言うことは、恐ろしいことだ。
当時、幡ヶ谷生花地方卸売市場の2〜3割のバラを朝から競り終わりまで
唯一教えられた一夜漬けの手やりと符丁を怒鳴り続けても買い切れないほどの
仕入を任されていた。 無茶な話である!
まして当時の花市場は今では想像できなほど閉鎖的で保守的な世界だった。
競り場のひな壇最前列でルールもマナーも知らない目障りな若造を
最上段からドスのきいた大声で怒鳴り散らしていたのが小池社長でした。
今では想像できないほど恐ろしかったのを覚えています。
ある時、競り人から目立つように赤のジャンバーを着ていけば、
胸ぐらをつかまれ脅され、競り台に近づいて品物を覗き込めば
物が飛んでくる勢いで怒鳴り散らされた。
競り人にも迷惑がられ何一つ品物が競り落とされないこともあった。
あの頃毎晩、赤坂見附の駅前で深夜まで花を売り、寝坊しないように市場の
駐車場で仮眠を取り、十二指腸に潰瘍をこさえ、薬を飲みながら仕入をしていた。
もしあの頃に昨晩の小池ブログがあれば仮眠を削ってでも、コメントをしただろう!
書きたいことは夢に出るほどたまっていた。 匿名で!
そうすれば潰瘍になっていなかったかもしれない。
閉鎖的な業界の情報は人づてに知る以外、自分で体験する他なかったし
事前に知る手だてはなかった。
知らないから出来たのかもしれない。
それから小池社長と本当に親しくお付き合いせていただくのにはだいぶ後になる。
世田谷中央卸売市場が開場して共に場内仲卸として入場してからです。
長くなりました。
明日は大事な千両市です。この続きは明日書くようにに努力します。